バングラデシュ・ロヒンギャ難民キャンプより
初めまして、ノルウェーで大学院生をしてます、のぞみです。
こあきさんから私の1月のバングラデシュ難民キャンプでの体験記のオファー要請がありまして、恐縮ですが、初投稿させて頂きます。
ちょっと重い内容になってしまいそうなので、なるべくこの問題を知らない方でも読みやすいよう心掛けて書きたいと思います!
まず、さらっと自己紹介ですが、私は今ノルウェーで国際開発学の修士学を学んでいます。今までの経歴ですが、ざっとこんな感じです。
東京で大学卒業→商社勤務→グアテマラ(スペイン語留学・ボランティア)→ノルウェー大学院
ちなみに日本での大学時代はフィリピンとカナダにインターン留学してました。
商社時代は途上国(担当はアジア)に海外電力プラントを建てる仕事をしてました。
一見バラバラですが、いまノルウェーで学んでる国際開発学に一応繋がってる感じです。たぶん(笑)
さてさて、本題です。わたしは今年1月にバングラデシュのコックスバザール(ミャンマーとの国境近く)にあるロヒンギャ最大難民キャンプのクトゥパロンキャンプに卒論研究の為に行ってきました。
―ロヒンギャとは?
ミャンマーのラカイン州に住むイスラム教徒の人達。仏教徒が大多数のミャンマーでは、人種も宗教も異なるロヒンギャをバングラデシュからの不法移民とし、差別・虐殺が行われている。
詳しくは根本教授(上智大)がわかりやすく解説されているのでご参考までに↓
ちなみに今回のキャンプ訪問は根本教授の後押しもあり、感謝です。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53042
あとUNHCRもわかりやすい↓
https://www.japanforunhcr.org/archives/14342
UNの推計でおよそ65万人以上がバングラデシュに難民となって逃げています。
ロヒンギャ難民のほとんどが空爆で村を焼かれ、家に火をつけられ、家族を殺され、何も持たずに何日も歩いてバングラデシュまで逃げてきました。逃げる際に撃たれ、銃弾の痕があった、幼い子供や大人にも会いました。
写真:お父さんと逃げていた時に撃たれた少女。この子の父も同時に胸を撃たれ死亡。
写真:「ミャンマー軍が家に入ってきて目の前でお母さんの首をはねた。多分僕は6才か7才。」学校でミャンマー語を勉強している男の子。もしかしたらよくあるケースのように、お母さんは目の前でレイプされて殺されたのかもしれない。カメラを向けると笑顔でこっちを見てくれたけど、お母さんが殺された話をしてくれた時、目を見開いて爪を激しく噛んで話してくれた様子の方が私の目に焼き付いている。
インタビューした中で特に問題視をしたのは、ロヒンギャのレイプ被害者達の辛い状況。
キャンプ内の女医によると、彼女は12月から働き始め、1カ月で既に75人以上のレイプによる妊婦を診たそう。レイプ被害者は全員中絶を希望したという。ロヒンギャの人達はすごく保守的なムスリムで、レイプ被害者に対する差別意識があり、レイプ被害者は差別されその後結婚することが出来ないそう。
また、キャンプ内の心理士によると、ロヒンギャの女性達は特に保守的で友達同士にも自分の性的被害を話さないのだと。彼女のメンタルセンターでは、トラウマを抱えた女性達に向けてグループワークを行い、トラウマの共有やどうやってそれを乗り越えるか等のワークショップを行っている。
写真:メンタルヘルスサービスセンター
もっとこういうセンターがあればいいのにと思う。
女性のグループインタビューも行いました。
写真手前の彼女は唯一レイプ被害を打ち明けてくれた女性。ミャンマー軍に何の理由もなく逮捕され、2日間監禁されレイプされ続けた。刑務所で何人もロヒンギャが拷問され殺されるのを見たと。
写真:インタビューした女性達
その彼女の隣の女性も、何の理由も無く夫と息子を逮捕され、その後行方を聞きに刑務所に行くと彼女自身も逮捕され3日間拷問を受けた。3日後、彼女の親戚が日本円で5万円程を払うことで彼女は釈放された。しかしその後、結局夫も息子も帰ってこなかった。他の女性達も夫や息子を拉致され、殺された人が多かった。
インタビューしたほとんどの人が援助が足りないと答えました。特に野菜、魚、肉が欲しいと。WFO等からの援助は、米、油、豆、塩、砂糖、床にひいて寝る用の竹のござのみ。結局難民たちはそうした援助物資を裏で転売して現金を手に入れ、野菜や魚を買うしかない。
写真:キャンプのすぐ外のマーケットでバングラデシュ人達がロヒンギャから買った援助物資を売っている。
そしてとにかく夜が寒いと。医者によると風邪が多い、ジフテリアも。バングラデシュは記録的な寒波で、そりゃ地面にこんな薄いござを引いて直接寝てたら具合が悪くなる。
キャンプ外でも取材をし、ミャンマー国境近くまで行きました。
船からミャンマーが見えて、フェンスの外側の海岸でテントに暮らしているロヒンギャの人々の姿が小さく見えました。彼等はお金が無いためバングラデシュにも船で来れず、フェンス内に入ると命の危険があるため、ミャンマーの中にも入れません。所謂、絶望的な人々でした。
国境近くの漁師に話を聞くと、何千人ものロヒンギャを船でバングラデシュ側に運んだと話をしてくれました。
「怪我をしている人たちもいた。向こう岸で煙が上がるのが見え、銃の音が聞こえてきた。こちら側で何も出来ず、僕達も涙を流した。どうやったら同じ人間が同じ人間にこんなことができるのか?」
バングラデシュはアジアでも最貧国のうちの一つ。決して裕福ではない漁師達も普段は乗船料をとるが、無料で何千人も船に乗せ、米や服を分け与えた。
キャンプに通い続け、希望を失うような話を沢山聞いた2週間でしたが、一番印象的だったのは、ロヒンギャの方々の困難に負けない強さと優しさでした。
ハミダべゴンさん(20)とその娘コヒヌアータちゃん(3)
キャンプでお世話になった写真家の方がある日キャンプのきつい坂を歩いていると、ハミダべゴンさんも隣ではあはあと息をついていて、二人で笑顔になり、ハミダべゴンさんが手に持っていたチキンを見せ、どうやら「これから料理するからおいで」と言っているようで、家に着いていったのが始まり。
私も何度もおうちにおじゃまして、その度に本当に食べ物が無いはずなのに、カレーを食べなさいと出してくれたり、チャイやお菓子をわざわざ買ってきて出してくれたり。
自分は飢えても客人をもてなせというのがイスラム教の教えだそうで、敬虔なイスラム教徒のロヒンギャの方々は本当にやさしくしてくれました。
ハミダべゴンさんも両親、夫、弟を軍に殺されました。
「家に軍が入ってきて、全員ひざまずく様に命令し、家族を射殺した」
ロヒンギャ掃討作戦はミャンマー軍だけでなく、警察、特に仏教僧、ミャンマーの民間人も一団となってロヒンギャの人々を殺しています。
ノルウェーに住んでる私たちからすると、信じられない、本当にこんなことが今世界のどこかで起こっているのかと耳を疑いたくなりますよね。
しかし、実は日本人の私たちとロヒンギャは実は戦時中からつながりがあるんです。
第二次世界大戦中、日本はミャンマーを占領しました。しかし、もちろんその前にミャンマーを統治していたイギリスと対立します。
そこでイギリスはロヒンギャを含む少数民族を支配し、日本はビルマ民族を支配し、戦わせたのです。ここでロヒンギャVSビルマ民族という対立構造が作り上げられました。
また、ミャンマー軍は日本軍が作ったものと言っても過言ではなく、今、ミャンマー軍がロヒンギャを拷問し殺害しているやり方は日本軍が戦時中に行っていたことをそのままやっています。例えば、竹やりを目に刺したり、家に閉じ込め火をつけたり。
これは、キャンプで出会った日本人ジャーナリストの方が教えてくださいました。
こういったことを日本のメディアで書こうとすると必ず削除されるそうです。都合の悪いことの報道規制が相変わらずすごいですね、日本。私たちが普段目にするニュースがいかに選別されたものだけかを思い知りますね。
それと、日本にも群馬県の舘林にロヒンギャの方々が200-300人程住んでいます。もちろんノルウェーにもいます。
今回の訪問の数日間は、その在日ビルマロヒンギャ協会の難民問題代表アウンティンさんに同行しました。
アウンティンさんはクトゥパロンキャンプに親戚もいて、10月に全額自費で学校を設立されました。
学校の様子はこちら↓ (編集のロゴが入ってます、すみません)
Aung Tin's school in Kutupalong camp
ミャンマーで国籍がなかったため、教育が受けれなかったロヒンギャの人は多いです。特に女性の識字率はとても低いそう。
今、アウンティンさんは二校目の学校建設に取り組んでいます。
私も少なからず出来ることとして、学校の建設費の募金を集めています!↓
https://www.gofundme.com/primary-school-in-rohingya-camp
いくらでも全く構いませんので、みなさんのお気持ちをロヒンギャの子供たちの未来の為に託してくだされば、幸いです!!募金額は100%学校の建設に使われます。
最後まで読んで下さり、本当にありがとうございました!
みんなが平和で祖国で暮らせる日が来ますように。