\... ノルウェイ北欧暮らしメモ .../

北欧暮らし。色んな人の色んな目線で。

rie - ワーホリ残り1か月を切りましたので、自分の気づきをちょろっと

どうも。rieです。

 

 

わたしの最近の話といえば、高校来の友人がオスロに遊びに来てくれたこと。そしてその足で、オランダはアムステルダム~日帰りブリュッセル(ベルギー)、そして彼女が帰国したあとに1日ひとりユトレヒト旅をしたことです。

 

昔も今も、実はさして西欧に興味のないわたしですが、今回の旅行で改めて、同じヨーロッパといえど国や地域によってさまざまな特色があるのだな、と再認識しました。

個人的にはベルギー、ユトレヒト共に、日帰り(または1泊)で行くのがおすすめです。蚤の市とかアンティーク&ビンテージモノ、セカンドハンドなどが好きな人は尚更。

 

あ、余談ですがアムステルダムブリュッセルは列車のほか、以前からお話ししている格安バス・Flix bus も通っています。

が、今回あまりよく調べなかったこともあり、めっちゃ道に迷ってギリギリに滑り込む形となりました。

あまり日本語の記事がないので、今後の利用者のためにもご案内しますと、列車・バスともにAmsterdam Sloterjik駅にあります。ここで注意なのが、googleなどの地図で検索する際は必ず「Amsterdam」をつけて下さい。わたしは初めにこれを付けず、変な場所へ行かされました。

更に、列車の駅は大きな駅舎がありますが、バスにはターミナルなどありません。列車の駅の裏側?にあるバス広場の駅寄りに、Flix Busの緑色のサインがちょろっと立っているだけ。また時間によっては行き先の違うバスも一緒に止まっていますので、必ず車掌さんに尋ねるなどして、行き先を確認しましょう。

 

以上、参考まで。

 

 

 

 

 

さて、実はにわたしのノルウェーワーキングホリデーのビザ、いつのまにか残り1か月を切ってしまいました。はやいなあ。

 

ここまでの生活で、自分が大きく変化したことや考え方の変遷をたどってみたことはなかったのですが、いい機会なので、自分がノルウェーに来るまで~今にかけて、変わったことや気付いたことをまとめてみました。

 

 

・自分から何かを発信する力がついた

これはまず第一に挙げるべきことかもしれません。というのも、来たばかりの頃はもちろん知り合いがいるわけでもなく、ほとんど手探りの状態から生活がスタートしました。

そして仕事を探したり、わたしの場合は和菓子をつくる活動をしたい!という思いもあり、縁あって知り合うことのできた人たちには自分がやりたいことなどを、とにかく話しまくっていました。

おかげさまで、その話を耳にした人たちからお声がかかったり、紹介をしてもらえたりして、色々なことに繋がったのでした。

 

と思うと、やはり自分から「口に出す」「発信する」ということは必要不可欠だと思います。特に母国語ではない、知り合いも少ない環境においては、自分を知ってもらう為にも、誰かに話すことはとても重要。

もしその場で興味を持ってもらえなくても、少なくとも、発信しておくことで、誰かの耳に残ったりして、後から「あ、あの子こんなこと言ってたな」と思い出してもらえるかもしれません。何も言わないよりは、俄然確率が上がるわけですからね。

 

日本にいた頃も心掛けてきたつもりだった「発信する力」。でもある意味、なんとなく気の知れた仲間と一緒にいると、そのへんがおざなりになっていることもあったんだなあ。それくらい、必死に自分の存在をアピール必要があったのも事実。特に仕事探しはね。

 

また仕事の面接などにおいても、日本のように形式的ではなくて、雇用主に対してどれだけ自分の能力をアピール出来るか、はめちゃくちゃ大切なポイントです。日本だとただ結果を述べるだけでも大丈夫な場合はありますが、こちらではそうはいきません。

そもそも履歴書も自分で白紙の状態から作成しますから、出来るだけ相手の目につくように、かつ短時間でもわかりやすくアピールポイントを書かなくてはならない。となると、自己分析とそれらの事項を噛み砕いて分かりやすく伝える力ってのは、とても重要だなと感じました。

 

ノルウェーに限らず、海外での生活において、自然と自分発信力は磨かれていくと思います。

 

 

・英語(ノルウェー語)でのコミュニケーション能力

これは今までのわたしの記事で散々言ってきましたが、わたしはとにかく日本語以外の言語におけるコミュニケーションが出来ない状態で渡航してきました。何度でも言います。反省しています。

 

当たり前のことなのですが、やっぱりどの国・地域にいたって、付き合っていくのは人です。言葉が違ったって、文化が違ったって、人は人。

わたしは初めの頃、日本語ではない言葉を話す人たちが妙に人間っぽく思えなくて(変な言い方かもしれませんが、どうしても彼らが合理的な何かしらの記号を発している生物、みたいに見えてしまっていた)、この人たちと話す・・?コミュニケーションとか取れるのか・・?とすら思ってしまったのですが、少しずつ場数を踏むにつれ、やはり相手は人間であって、感情や思考があって、言い方や表情、態度を添えて話をする必要があるのだ、と思えるようになりました。

 

いまでこそ、簡単な会話なら英語でも出来るようになってきました(特に先日の旅行では、友人が全く英語を話せなかったため、ほぼすべての会話をわたしが担ったのですが、去年の今頃に比べれば断然英語が聞こえるようになったし、稚拙ながら話をできるようにはなったんだな、と実感した)が、やはりここまでになるのにも相当苦労はしました。

オスロにいる日本人の多くは、別の国ワーホリ及び留学の上、来ている人が多い印象です。ノルウェー語が出来ないならば、せめて英語が出来たほうがいいです。ので、可能な限り渡航前から英語力は磨いておきましょう。

 

 

・肉をほとんど(ほぼ完全に)食べなくなった

これはかなり個人的な今までの思考・経験に基づく話ですが、たしかにきっかけはオスロでの生活かもしれません。

 

以前にもすこし書いていますが、わたしは社会人をやめる前くらいから、肉を食べることに違和感を覚えるようになりました。それまでは、肉か魚か、という選択肢があれば、必ずと言っていいほど肉を選んで食べていたし、学生の頃なんかは肉の食べ放題にも行っていた(若い)。

 

なんでかというと、いくつかあるのですが、まず日本人に肉は必要がない、と気づいたこと。これは和菓子の歴史からもはっきりと表れていることです。

例えば、中国から伝わってきた羊羹や饅頭は、獣肉を入れて食べるものであったのですが、日本人は肉を食べなかったがゆえ、代わりに小豆などを使用したわけです。ほら、漢字にも「羊」「頭」など、思いっきり表れている。

それに、鎖国が開けて西洋の生活様式が入ってくるまでは、民衆が肉を食べるという事は、まずなかった。狩猟とかは別として、日常的に肉を食べる習慣といのがなかったのです。

むしろ現代病の要因が生活習慣であり、そこに西洋的な食事の取り入れすぎであることなども考えると、日本人が肉を摂取しないからといってデメリットが生まれることもないのだろう、と。

 

もうひとつは、ノルウェーで食べる肉がことごとく獣臭かったこと笑。それもあって、こちらでは食べなくなりました。

しかしそれを別の観点から見れば、個人的に以前から懸念していた家畜環境のことだとか、日本で食べるような臭みが全くない肉、というのもなんか不自然だな、と。

だからノルウェーのやり方が悪いとかそういうことではなく、本来の臭みがある肉を食べたことで、かえって日本の臭くない肉、安い肉を食べるということがどれほど怖いことか、というのを、想像ではありながら恐ろしくなってしまったわけです。

 

だからといって、わたしの場合、人が食べてる様子を気持ち悪いとは思わないし、むしろ狩猟民族などかつてから肉食の習慣がある国や地域での肉食葉習慣だとある程度まで割り切っているし(ただし必要以上に精肉される現状についてはよく思っていない)、わたしの目の前に肉が出てきた場合(たとえばほかのお宅で料理を振舞ってもらったて、そこに肉が入っていた場合など)、わたしはそれを命あるものだったことを感謝して頂きます。

 

そういうことを、東京にいる頃よりも深く考えるようになりました。それはきっと、周りの環境もあるだろうし、オスロではごく当たり前にベジタリアンやビーガン向けの食事への配慮がなされていて、目にする機会が多かったのもあるかも。

わたしの友人にもそういう人は多いけど、みんなそれをひた隠しにはしないし、フレキシブルに食べることもしない人なら、一切肉(および動物性食品)を口にしない。

 

でも、それっていいなあ、と思いました。個人の選択の自由だものね。

 

 

・自然と人との暮らし方に、更に目を向けるようになった

これは上の事項に少し関連することでもあるのですが、わたしは和菓子屋にいる頃からこんなことを考えていました。

 

「ある商品が安いということ、あるいは高いということが、一体どういうことなのか。その仕組みにまで目を向けて、モノを選びたい」

 

日本にはたくさんの安い商品があふれています。食事だって安い。服だって、ちょっとした小物や日用品だって、種類がたくさんあるし、選択肢がたくさんある。

でも、モノを選ぶときに、とりあえず安いからという理由で選択すると、それがやがて社会秩序の崩壊に繋がってしまう可能性があることも考えなくてはならない、とわたしは思っています。

 

安いということは、まず商品の材料や質。そして生産されている現場の労働環境。賃金。それらに問題がある可能性を考えたいところ。

また高いにしても同じ。わたしたちが支払ったお金が、どこに、どれくらい回っていくのか。その商品に関わっている人全てに、対価としてお給料が渡っているのか。できればそういうところにまで、みんなが目を向けてくれればいいなあ、と思っています。

 

それは日本でずっと思ってきたことなのですが、オスロにきて、選択肢があまりないこともあって、よりいっそう考えるようになりました。彼らは、ないものは作るし、自分たちでできることは自分でやる。

また自然との距離が近いこの街で、自然と人との関わり方、ひいては暮らし方にまで目を向ける機会が(個人的には)たくさんあって、ああ、自然から学んできた人の生活の知恵を、もっと知りたいなあと思うようになりました。

 

それは今後の自分の人生の目標のひとつにもなっています。どうなるかしら。

 

 

・ちょっと冷静に日本を見つめるようになった

今までどうしても、当事者として考えられなかった日本の政治問題から始まる諸々のことを、日本から離れることで第三者的に冷静に見ることができるようになりました。こういうとき、距離って大切だなと思う。

もちろん毎日のニュースをテレビで見られるわけではないので情報量は少ないかもしれないけど、それこそ英語・ノルウェー語での情報を同時に追うことになるので、世界的(少なくともヨーロッパ)に見て日本の政治がどのような状況にあるのか、を少し垣間見ることができた気がします。

なんかね。色々とみていると、ああ、こんな政治状況の国に帰るなんて嫌だ・・って思うようなことだってあるのだけど、それは母国であり、これから帰る場所である以上、きちんと向き合わなくてはならないこと。せめて選挙には真面目に行きます(今までも行ってたけどね!)。

 

 

・太陽のありがたみを改めて知った 

 最後にコレ。でも本当にそうなんです。

 

特に冬はめちゃくちゃ日照時間が短くって、しかも晴れている日自体があまりない印象。身体がキーンと凍てつく寒さの中、すこしでも外出しようものならもう緊張状態です。歩くと滑るから、自然と地面ばっかりみちゃうし、なんか余裕がないのです。

それに太陽がないって、やっぱり気持ちが落ち込む。外に出る時間も減って、考えごとでふさぎ込んでしまうことも。ノルウェー人ですら、冬の間だけ鬱になる人がいるくらい。

 

わたしがノルウェー渡航したのは3月の上旬で、そのころは少し雪も残っていたし、まあ日本の冬よりちょい寒いくらいかな、としか思っていなかったけど、そこからグンと日がのびて、気温も湿度も高くない北欧の夏がどれだけ最高だったことか。それをこの冬、やっと身に染みて実感したのでした。

 

ほかにも太陽だけじゃなくて、緑やお花の鮮やかさとか、水の流れとか、空気の感じとか。

そういうことまで含めて、限られた夏をうんと楽しむのっていいな、と思いました。

 

 

 

 

 

 

以上、わたしがノルウェーに来て感じたこと、気づいたことリストでした。というよりも、考えが深まったこと、が多かったのかも。

ワーホリっていう言葉から連想するものが「仕事」「休暇」や「遊び」だけじゃないんだよってこと、もっと分かってもらえるといいな。もちろん、それありきの気づきでもあるのだけど。

ある意味で、母国をある期間だけ離れることで自分を振り返れる、良い機会なのかもしれないね。少なくとも、わたしにとってはそうかも。

 

 

 

 

 

最後に、今日のおやすみソング。

ここのところ、マイナーな言語を調べることにはまっている(文法とかは知らない)。これはモロッコ公用語のひとつ、ベルベル語の音楽。ってこの動画じゃ、あんま喋ってないけど。文字が面白いので、ぜひ気になる方は検索してみてね。


bereber music in sahara desert merzouga . welcome to www.sahara-breeze-travel.com

 

 

ではでは。

 

 

rie