Galdhøppigen 登山記
朝だ。でも。まだ太陽は登っていない。
まだ空は白んでさえいない。真っ暗だ。それでも今は朝だ。目が覚めた時から朝は朝なのだ。
起き上がると布団が乾いた音をたてる。するとまるで合唱みたいに横からも下からもきぬ擦れの音が聞こえる。みんなにも朝が来た。楽しみにしていた朝だ。
出発は朝6:30。チーズとサラミをのせただけのパンをポケットにいれて車に乗る。6人を乗せたワーゲンの少し古いバンは静寂の中を泳ぐように進んだ。
(窓が汚い…)
車窓から外を見た時の最初の印象はそれだった。その奥には青く冷たい空気がじっとしていて、川はまるで鏡のように空と山を映している。全てが静まり返っていた。
私たちの乗るバンはまるでタイムマシンで、過去から未来へと進むようだ。私たちの時間だけが動いていた。がたがたではあるけれど。
低い木々の連なる大地を越え、まだら模様の雪化粧をこさえた山を越え、たどり着いたのは小さな街だ。
通りには誰もいない。山腹にあるこの街にまだ光は届かない。高い高い山の上から光のカーテンがおりてくるのを、どきどきしながら待っている。
街はまだ起きない。私たちは時間つぶしに歩いた。
川沿いの開けた場所に立つ、この街を何十年も何百年も見守っているであろう教会。木をそのまま家にしたような、歪だけど温もりがある。木々に囲まれててっぺんだけを空に覗かせて何を見てきたのだろう。通り過ぎた年月は教会に居場所を与えたのか、それとも奪ったのか。教会は何も言わずにそこにあった。でもどうやら微笑んでいるらしいと私は感じた。
買い物を済ませて目的地へ向かう。この頃には太陽はもうすっかり幅をきかせて、空いっぱい、地上の隅々まで光を伸ばしていた。
そう思ったのもつかの間。途端に霧に覆われ、何も見えなくなってしまった。世界が真っ白だ。いや、白とも違う。少し淀んだ、重たい白。自分が今どこかもわからないままバンは決められた道を走る。それが唯一の術だった。
雨か…
自分の不運を恨めしく思っていると、ふいに光がさした。
霧を抜けたのだ。見おろすとそこには立派な雲の河が、山間に寝そべるように広がっていた。風もなく、ただただ穏やかに漂っている。鼻歌まで聞こえてきそうだった。
突き抜ける青色。雲ひとつない晴天だった。
そこへ到着したのは9:00過ぎだ。山小屋では沢山の人が暖をとりながら談笑していた。ここでガイドツアーに申し込まなければならない。一部クレバスのある危険地帯を進むからだという。
私はそんな話は聞いていなかった。命綱と聞いただけで、身の危険を感じ、絶壁や深々とえぐり取られたような氷河の穴を思い浮かべた。けれども今更引き返すわけにはいかない。
私たちは雪原を一歩一歩進んだ。前に前に。東京では滅多に雪は降らない。時々降ると私はよく喜んで外に出た。
けれど、この時ばかりはそんな余裕はなかった。ひたすら歩く。前に。雪が雪に見えない。そこはつるつるとよく滑る、私が歩くべき道でしかなかった。それもとても歩きづらい道だ。
ただ時々ふと顔をあげては、その綺麗さに感心した。雪山は美人だ。とっつきにくいが、見ている分にはとてもいい。真っ白な雪と真っ青な雪は地平線で出会うが交わらない。ぱっきりとふたつに分かれているが、仲が悪いわけではないようだ。水平線のように馴染んだりはしない。それはつんとした空気からもよく伝わった。
ほとんど平坦な道だったがいかんせん雪が深すぎる。私のような小人では足を持ち上げるだけで精一杯だ。疲れた時はよく足がひっかかってつんのめった。歩幅も小さいため人よりも早く歩いた。小人はなかなか大変である。
真剣に歩いていると、時間も道のりもあっという間に過ぎ、クレバス地帯にやってきた。雪原の上に並べられた等間隔で輪っかのある命綱。これを見も知らぬ人たちと共有し、文字通りの運命共同体になるのだ。
でも悪い気はしない。今日この日に集まった者たち。同じ目標を目指し同じ道を歩いてきた同志だ。死なば諸共、世は道連れ。彼らを信じ、また、彼らの期待に背かぬようここでも小人は必死だった。
特に命綱を丁度良い緩さで保って歩くことはなかなか難しかった。ぴんと張っても、たるみすぎても、歩きづらいのだ。自分の事だけでなく、相手の歩きやすさも考えながらとなると、なかなか気力もいる。いやはや、登山においても人との距離感は大切なのだ。
ところでこのクレバス地帯は思ったものとは少し違った。テレビで見たような深い深い、暗闇に続くようなものはなかった。ただ見えないだけで、そこにはあるのだろう。思わぬ落とし穴が。何も見えないからと侮ったらさいご。雪道でさえも叩いて歩こう。
登山はここからが本番だと言っても過言ではないだろう。誰ひとり滑落することなくたどり着いた頂上の麓。そこで命綱とお別れし、あとは各々頂上へと登るだけ。
だが…雪山を登る、これほど大変な事はない。何故なら良くも悪くも晴天の下、雪は溶けて固まって氷のようになっている。右足に体重をかけて踏ん張ろうとしても、情熱は届かず、靴はすぐに諦めてつるりと滑る。アイススケート場よりもよっぽど滑る。可愛い子のほっぺたよりも。
また雪山には岩場も多い。普通の登山なら岩は良い踏み台になるが、凍った岩ほど危ないものはない。滑れば大怪我は免れないだろう。岩場を過ぎたとしても急勾配が待っている。まだまだ気は抜けない。
今まで歩いた山では生命をたっぷりと感じていた。葉を揺らす背の高い木々、岩や地面を覆う苔、そこかしこを流れる大小の川。それらが歩く力をくれるのだ。息を吸えば生命が発する力を少しずつ吸収している気分になった。いつまでも歩ける気がした。
けれどもこの雪山は違う。あるのは岩と雪と空だけだ。空気を吸えば冷たい空気で喉が渇き、えづいてしまう。一歩一歩確かに歩く。慎重に呼吸をする。それが私にできる全てだった。
だけど生命を感じなかったとは言わない。これも自然だ。ありのままの姿であり、クレバス同様、目に見えなくてもここを住処とするものもいる。そう思えば冷たい雪でも力をくれるような気がした。
そうしてたどり着いた先に待っていたのは、今まで見た事もない雄大な地球の姿だった。
これが北の大地だ。
ガルフッピゲン、標高2469メートル。
北ヨーロッパで最も高い山。
最も高い場所に私は歩いてやってきたのだ。
日本の北の大地もかつてはこうだったんだろうか。見渡す限りの大地。多様な生き物が暮らす家だ。それぞれの縄張りを持って暮らしていた遠い昔に想いを馳せた。
これが地球だ。
〜了〜
はーーーーーい!!
今日は趣向をかえて小説っぽく旅行記をお送りしてみましたー。こあきです!
星野道夫さん、西加奈子さん、難しい本を読んでちょっとかたい日本語を使いたくなった。楽しかったー( ^ω^ )
どうかな?伝わったかな?
ちなみに山頂ではソーセージを茹でてジャガイモで作った生地をまいてノルウェーのBBQといえばの、ルンペを食べました✨ うまかったが、寒かったw 雪山から繰り出される強風の冷たさといったらもう!
さらにバリスタの友達がいて、なんと!onibus coffeeの豆と、Tim webdelboeの豆と、コーヒーセットを持ってきてくれたの💓
コーヒーシーンはムービーで撮ってたからスクショw
ヨーロッパの最高峰で、ひきたて豆のコーヒーをいただけるなんて。幸せ。こんなに幸せなことってないよ。
雲ひとつない晴天の下、ヨーロッパの最高峰で、プロのバリスタが淹れた、日本とノルウェーの最高級コーヒーをいただく。
幸せの中の幸せ。
帰り道もおかげさまで頑張れたわ!危なかったけど!本当に一回危なかったけど!
つるつる滑る岩場こわすぎて滑り台みたいに滑って降りてったんだけど、止まらなくて落ちるかと思ったww 携帯をいれてたポケットのチャックしめてなくて水浸しだしww
帰りも命綱だったんだけど、降りるの早すぎて、紐で引っ張られて危なかったし。一回転んだけど止まってくれないから焦ったし。超必死だった😂
でも全員無事に下山して帰れたので本当に良かった✨ 連れてってくれた友達と誘ってくれた友達に大感謝!車がなければ行けない所だからね。
ノルウェー人が夏になると山小屋に行く気持ちが分かったよ。山小屋快適すぎて最高!!朝から山登りして山小屋で晩御飯食べて…それだけでノルウェーに移住したいと思いました。
以下、お気に入りの写真たち。本当にアナ雪に出てきそうな景色いっぱいあった!!
スパッツで山登ってるの私だけだったしw日本の山ガールスタイルそのままwww